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2014年6月

2014年6月26日 (木)

アイランドカップ2014参戦記 

 
 2014年6月21日(土)にジャカルタで、ジャカルタ、台湾、マニラの3チームによって争われる「アイランドカップ」が開催されました。
 その様子を、息子にラグビーをやって欲しくてハポンズに連れてきたら、自分もやるはめになってしまった大塚父さんのレポートと写真でご報告します。
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開会式、左からジャカルタ、ハポンズ、台北。
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使用前。

皆様

大塚父です。 今回は参加させていただき、本当にありがとうございました。

めちゃくちゃ、楽しかったです。試合も、遠征旅行も。 次回の試合もぜひ参加させてください。 少しだけ感想を書かせていただきます。ただ初参加なので自分のプレーに関する感想ですみません。

試合前の練習:

とにかく自主的に走って、あとパス練習(特に確実にキャッチする)に心がけました。

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アップの風景その1

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アップの風景その2。移動中はものすごい雨でしたが無事止んでくれました。

対ジャカルタ戦:

 タッチラインの外からの応援でした。

 小暮さんが圧倒的に声を出していて、自分はそこまで出せませんでした。戦っている選手のムードを高めるためにも、大声を出して盛り上げることが大事だと思いますが、できていなかったと思います。反省点です。 また、水の補給やアミノ酸のサプリメントの差し入れなど、小暮さんは積極的に動かれていました。見習いたいと思いました。

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試合前の打ち合わせ。今回の遠征は選手15人と最近ではもっとも充実の陣容

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試合開始から防戦一方。試合への入り方が悪かったと首脳陣は猛反省中。

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踏み込んだディフェンスを!

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辻氏のハポンズ初トライとなる「35キロ過ぎからの独走トライ」

高木君(初出場)が抜け出す。

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Dude(初出場)もしっかりサポート。SOから回ってきた辻氏が、、

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ここから独走が始まります。

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しかし、どんどん減速。「マラソン35キロ過ぎよりも辛かった」本人談。

なんとか70メートルを走りきりトライ。これがハポンズ唯一のトライ。

対台湾戦:

 試合開始前から、「この試合は出るぞ」と伝えられていましたので、とにかくいつ声がかかってもいいようにと思い、改めて走って身体を動かして準備しました。いざ声がかかった時はとにかく緊張して、後でビデオを見ましたが身体の動きがギクシャクしてロボットみたいでした。それくらい緊張しました。 

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プリンス北口。

 ボールが動き出したら、とにかく追いかけようと思いました。 プレイで記憶に残っているのは、一度だけパスをキャッチしたシーン。 取った瞬間にタックルされて、真後ろにひっくり返ってしまいましたが、ただ背中からすとんと落ちたので頭を打たず、すぐに立ち上がることができました。

 しかしいとも簡単に転がされてしまったのはショックでした。キャッチまたは走り出しの体勢に問題があったのだと思います。

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ゆきが攻める

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ゆきが駆ける。

 次にラックです。ラックにも飛び込んで、なんとかボールを搔き出してやろうと思い、初めてラックに飛び込んだら運良くボールを掴む事ができました。無我夢中で後ろに放り投げたのですが、その後ボールが繋がってトライ(Dude君がやってくれました)に繋がったのです。これは本当に嬉しかった!

 (いやいや、それは反則。ラックで手を使っちゃいけません。。。)

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一列目のご紹介。まずは岡田さん。

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プロップ奥野さん。

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そしてフッカーは軍曹。

では、「どフリーなのにディフェンスを探して当たりに行った疑惑」の検証。

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一人はかわす。

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加速。あ、中田君(初出場)、フォローしてくれてたのね。

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「ゴールライン遠いなぁ。。。。」

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「当たっちゃえ!!」

  最後にタックルです。台湾戦の後半最後の方でまた出場し、夢中でボールを追いかけていたら、台湾選手が目の前でボールを持って走ってきました。後で知ったのですが、台湾チームで一番大きい選手。怖い顔をして低い姿勢で走ってきたのを覚えています。これは止めなくちゃと思い、向かって行きました。正直、ぶつかった瞬間のことは覚えていません。痛くはありませんでした。後からビデオで見たところでは、当たった後、横に吹っ飛ばされてしまったようですが、味方の別の方のタックルもあってその選手を止める事ができ結局無得点に抑えられました。

これはとても嬉しかったですね。

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杉本も初出場。

   本当に無我夢中でしたので痛さとか怖さとか全然感じませんでした。試合が終わったあとも興奮状態がしばらく収まらず、これがアドレナリンが出ている状態なのかなと思いました。どうしたらそのような状態になれたのかと聞かれてもわかりません。ただ、集中してボールを追いかけて走り回っていたとしか言えません。

  こうして私の人生初の試合は怪我をすることなく終える事ができました。短い時間でしたが、記憶は鮮明に残っております。一生忘れないでしょう。本当にラグビーを始めて良かった、ハポンズに入部して良かったと思います。大変楽しい遠征でした。繰り返しになりますが、初心者を温かく受け入れて下さったチームの皆様に感謝申し上げます。

 ありがとうございました。

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大塚氏の勇姿。

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もう一枚。

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使用後。

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アフターファンクションで部歌披露。

文責:す

2014年6月11日 (水)

福山パパのご挨拶

 

私がラグビーと出会ったのは、2005年です。45歳の時でした。

住商東京から梁井クンが工業団地(FPIP)に赴任し、そこの入居企業の一つだった相川プレスの相川社長(山梨学院大のラグビー部出身)と一緒に立ちあげたタッチのサークルがその前身です。

 

息子が3人いて、私も含めて男4人の我が家はすぐに梁井クンの人集めのターゲットとなりました。「福山さん、タッチだから未経験者でも大丈夫ですよ」とニコニコしながら言う梁井クンの、あの笑顔に騙されました。それまで、中高でバレーボール、大学で野球、社会人になってからはテニス、ゴルフにジム通いと、一応体力には多少自信もあったので、誘いに乗ったのでした。

 

 

2005年末のAJRCは、マニラからは梁井クン、川崎クン(こちらも住商)の2名だけ参加したと思います。川崎クンは立教大学のバックスのスター選手だった(と本人が言ってました)らしく、安川さんとはちょうど入れ違いぐらいの先輩です。

 

しかし、私の下で働いてくれていた川崎クンを会社の都合でメキシコに取られ、経験者がまた少なくなったのですが、関口、田口などの若手が徐々に増えてきました。私は当初、うちの息子たちの送迎役になろうと思っていたのですが、梁井クンに乗せられて練習にも参加するようになってきました。経験者のようにカッコよくスクリューボールでパス出来ないのが悔しくて、ひそかに練習するようになったのもこの頃でしたね。

 

そのうち、フィリピンの他のラグビーチームと交流試合をする話が持ち上がりました。タッチラグビーだとばかり思っていたのですが、何とコンタクト付きでした。そりゃ、話が違う。オレはムリ!! しかし梁井クンが耳元で囁きました。「福山さんのその重さがあれば、欧米人にも負けませんよ。立派なフォワード体格です」じゃあ、1回ぐらいは出てみようか。

 

この頃には、秋庭さん、瀬戸口クン、小野クンなど、メンバーが増えてきていました。

 本格的なコンタクトの練習も始まりました。スクラム、タックル、モールにラック(攻撃側、ディフェンス側両方の練習)、ラインンアウトでのリフティング。新しい技術、新しいルールの勉強、さらにきつい練習。でも、意外とタチラグビーでやってきた基本の動きが役に立つこともわかり、楽しくなってきました。その時点では、任されたポジションの「プロップ」がいかに大変な専門性の高いポジションかも、わかりませんでした。

 

 2006年秋頃だったですね。NOMAZのグランドに初めて立ちました。我が家からは、私とノリ。ノリはまだ13歳(中2)でした。

 始めて2人がグラウンドに立ったその試合で、小野が救急車で運ばれる大けが。左足の先が「あさっての方向を向いている」ぐらいの悲惨な光景に、親子で顔を見合わせて青くなっていました。やっぱり、ラグビーは怖い!!

 

でも、次の試合、思い出のシーンによって、私もノリもラグビーの魅力にとりつかれたのです。試合終了間際、田口クンがボールを持って敵陣めざして走っています。私は彼が捕まったときのサポートをしようと、彼の斜め後ろを走っていました。そしたら、何を血迷ったか、田口クンが私にパス。え??初めてのボールを抱えたのが既に敵陣間近の位置でした。私は誰かにパスする余裕などなく、そのまま横に並んだ敵のディフェンスめがけて突っ込みました。そして、何度も練習した通り、倒れ込みながらボールを後ろに置きます。ここで、ラックの中に押しつぶされながら、忘れられない光景を見ました。私が置いたボールがパスで繋がれ、向こうの方で、何とノリがトライを決めたのでした。

これが、私とノリがラグビーにはまった、始まりの出来ごとです。

それから、何度も試合に出させて頂き、右足前十字じん帯損傷も経験しました。でも、それからラグビーが嫌いになることは一度もありません。それどころか、親子してどんどんラグビーの魅力に取りつかれる自分がおかしいです。

 

私は出場した試合で、一度もボールに触れないことも何度もありました。出場時間が

少ないから仕方ないのかもしれません。でも、ボールに触れなくても楽しい、と思ってプレーしていました。不思議な感覚でした。ディフェンスできれいにタックルを決める、スクラムで相撲取りのようなやつに押し負けなかった、味方が捕まってラックになったところにサポートに入る、ラインアウトで味方を高く持ち上げてボールを取ることができた。

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2009年11月の写真。

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2011年3月マニラ10s


ラグビーは個人プレーのスポーツでないんだなあ、ということを実感しました。球技なのに、ボールに触れなくても楽しい、というのは、本当に特別なスポーツだと思います。

 

今度、ラグビーのW杯が日本で開催されます。この時に、各スタジアムがみな熱心なファンで満員になってほしい、というのが、今の私の願いです。そのためには、ラグビーは一部の経験豊富なプレーヤーたちの間だけのスポーツであってはいけません。

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2010年3月マニラ10S

もっともっとラグビーの魅力をたくさんの人に知ってもらって、ファンを増やす、そのために、マニラハポンズのような、初心者を暖かく迎えてくれ、ラグビーの楽しさを教えてくれるサークルがどんどん広がっていってほしいと思うのです。

 

福山 雅夫

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今の福山パパです。

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一家でイッキ!

2014年6月 6日 (金)

「に」ではなく「と」

「ジャパンフィーバーの余韻から覚めたら書いてもいいですよ。。。」

ブログ執筆の依頼に、遠回しに断ったつもりで言ったが、どうも相手には届いていないようだ。「ま、半年くらいは覚めませんけどね」とすぐさま小声で行間を埋めてみたが、どうやら効果はなかった。数日後のメールに添付されたHapons幹事会の議事録のブログ執筆者欄に自分の名前がはっきりと記載されている。「見てないこと」と呟いてしばらく放置していたが、それを見透かしたかどうか、敬愛するHapons奥野部長夫妻から波状督促メールが届き、これは逃げ切れないと観念する。拙稿ではあるが2編ほど寄稿させていただく。


2014427日と53日、Hapons2 陶酔する。それもカッポン的陶酔ではなく、心からの陶酔。恍惚といっていいかもしれない。たった1週間の間に、100年に1度のイベントが2度。大袈裟ではない。。。と思う。


一つ目はすでに当ブログで報告されている「ジャパンVSフィリピン」。ラガーマンなら一度は目指したジャパンが、ワールドカップ予選の試合をしに、あろうことかフィリピンにやってきたのである。試合の2日前にジャパンがマニラに到着してからというもの、普段は仏頂面がデフォルトの平均年齢45歳な純オッサン集団は、嵐の追っかけをする女子と質的には何ら変わらない、テンション上がりっぱなしの異様な状態。試合前日練習は平日ながら、ある者は有給休暇を使い、ある者は口からデマカセを言って上司を騙し、ある者は職権乱用休暇を使って、まるで関係者かの如くグランドに集結。とまぁ、書くと止まらないのでジャパンの話は次回に書くとして、今回は、そのジャパンが来る1週間前、Haponsが陶酔したもうひとつの話。レイテ島で行ったイベント、台風被災者支援活動を報告する。

 

イベント公式タイトルは。。。

復興支援 初めてのラグビー教室 in レイテ  

~レイテの子どもたちに笑顔を~


野心的。。。いや、ほとんど妄想的。。。名詞・形容詞・前置詞をランダムに選んで並べたのかと思えるほどのデタラメなタイトル。ラグビー認知率が限りなくゼロに近いこの国でラグビー教室?しかもレイテで?しかもカッポン集団Haponsが?

しかし、この妄想的タイトルが時を追うごとに現実味を帯びてくるのである。1文字を除いては。。。

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ワライ語・英語・日本語入りの横断幕


背景を少々。

Gini係数という言葉を聞いたことがあるだろうか。一言で言えば国内の貧富の格差を表す指標のこと。世界的に見ても、フィリピンは貧富の格差が大きく、Gini係数ランクでアジアではマレーシアに次いでワースト2位。大金持ちと貧乏人がはっきりと分かれている国なのである。フィリピンの中でも最貧地域の一つであるレイテ島は3世帯のうち1世帯は年収4万円以下(TianTian食事1回分)、1日1ドル程度で暮らしている。そんな非常に貧しい島に、2013118日、観測史上最大級の台風(30号・現地名:ヨランダ)が襲った。6000人以上の人命が奪われ、今でも1000人以上の人が行方不明である。そして、現地には、実際に家族を亡くした人、親を亡くした子供、家を無くした人がいて、それが今も現実として続いている。

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1000人以上の人が亡くなったレイテ州パロ町

(筆者もかつてここに2年住んでいた)

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貧困マップと台風進路

(色は州ごとの年収約4万円以下の世帯の割合)

 

大災害となった台風被害のニュースが世界中を駆け巡っている中、すぐに連絡をくれたのが友人でもあるラグビーショップNZ RUGBY ONLINEの経営者、小澤響平。衣類やその他支援物資の提供をいち早く表明してくれた。しかし、輸送などのロジを考えるとそう簡単には話は進まない。

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http://reuse.totalrugbysupport.com/

NZ RUGBY ONLINEが主催するリユースプロジェクトを通して

200Kgの衣料品の支援物資が提供された


そんな中、HaponsAJRCの大会で台湾に遠征する。すでに世界的大ニュースとなったフィリピンの大災害に対して、ホスト国である台湾チームFIVEWOODS部長の鎌田さんは、被災者支援のための募金を提案。AJRC事務局に承認を取り付け、さらにFIVEWOODSは募金箱まで作成してくれていた。Haponsが依頼したわけでもないこのサポートがなければ、今回のイベントも存在し得なかった。ある意味、今回のイベントの出発点といっても過言ではない。本当に有難うございました。

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FIVEWOODSが作成してくれた素敵な募金箱

(フィリピン国旗ハートマークに愛を感じます!)

 

さて、ただ募金箱を置いておくだけでは中々募金は集まらない。試合後のアフターファンクション。ご存知のようにラガーマンの特性は、単純思考回路、情にもろく、その場のノリ第一主義。そんなラガーマンに酒を与えたら結果は明白。程なくしてお祭り状態に突入し、脳の情動系も財布の紐もユルユルになったのを見計らって Hapons メンバーが動く。もはや、募金活動ではなく回収作業といっていいであろう。そして、なんと 10万ペソ(日本円で 24万円くらい)ものアガリを回収、いや、募金をして頂いたのである。

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子供からも容赦なく回収する吉本

 

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責任持ってレイテの子供たちに届けます!

 

NZ RUGBY ONLINEから200kgもの支援物資、AJRCから24万円もの支援資金、この2つの気持ちをどう現地に届けるか。Haponsは何度か会議を持ちアイデアを出しあい色々な意見が出る中、現地視察も踏まえて最終的に最もつらい立場にいる壊滅的な被害を受けた被災地にいる子供達を裨益対象に決め、被災者支援チャリティイベントをやることになった。

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現地視察する玉記・関口

(後ろにWelcome to Yolanda Villageの文字が。。)


モノ・カネが揃い、あとはそれをつなぐヒト。そこで登場したのが今回のイベントの最重要人物、堀口利辺佳。自身が台風被災者であり、被災した隊員では唯一帰国せずに現地にとどまり被災者の視線で援助を続けている協力隊隊員である。彼女は全く妥協せず本当に支援を必要としている村を探し、我々の活動ができる場所をみつけ、裨益対象者を探してくれた。当日の炊き出し料理調達も安易にランチボックスなどを注文せず現地の人にお金が落ちるように素材からの調達。イベント全ての調整から通訳まで八面六臂の活躍をしてくれた。私も以前協力隊員だったからわかるが、ここまで現地の人の視線、立場で活動できる隊員をかつて見たことがない。

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子供達に現地語のワライ語でルール説明する堀口さん

 

そして、当日のラグビー教室では、150人以上もの子供達が集まり、参加したHaponsメンバー11人、日本や中国から来たHapons OB3人、AJRCから参加頂いた三輪さん、東京・NZから来たNZ RUGBY ONLINEの小澤さん・櫻井さん、協力隊の堀口さん、院生の高原さん、現地人の協力スタッフ、ドライバー、みんなの協力で、イベントは大いに盛り上がる。

 

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イベントを開催したタナウアン町モホン村のモホン小学校

 

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現地語で挨拶する奥野部長 

原稿を一行も暗記しておらず棒読みで日本人的には爆笑。

子供はキョトン。1ミリも伝わってませんよ。

左から 山崎 高原 宮尾 奥野 小野 永田

 

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ボールで遊ぶ子どもたち 笑顔がいい。。。

 

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体を張って開始まで時間をつなぐ横山さん

 

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女の子にパスを教える小田切先生

 

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子供とパスして遊ぶ小澤さん

 

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タグを取り合う三輪さん


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オミさん、タガログを駆使して指導


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運び屋小野さん あれ?目の錯覚?


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タグ指導中の原木和尚

 

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杖をツイてでも来た漢・宮尾 惚れなおした!!


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岡田さんもハッスル どうしても相撲がしたい?

 

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内藤ファン?いえ、写真目当てです

 

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写真、喜んでくれました

(孤独の作業が報われる笑顔。。。)

 

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学年ごとの写真 

左から内藤・奥野・永田・小澤・櫻井・宮尾・玉記・高島・日向

(個人写真がない人はこれで許して。。あ、ザッキーがいない。。)


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NZ RUGBY ONLINEの小澤さんより被災者に

衣類やシューズなどが手渡される


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配給準備をする女性陣

左から堀口さん・小田切さん・奥野朋子さん


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全員集合!!


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 参加したメンバー(クリックで拡大)

 


そして、忘れてはいけない人達がいる。

 

イベントに参加してくれた子供達である。

 

このイベントが終了して、参加した日本人皆が口々にした感想の中に、一つだけ共通する言葉があった。

 

「癒やされたのは子供達ではなく、むしろ自分達」

 

裨益という漢字には、益を受け取るという意味があるが、国際援助の世界では必ず「裨益」対象を選定し、そこに何かをしてあげるという一方通行の矢印が存在する。今回も我々は裨益対象者である被災した子供達に何かをしてあげるつもりだった。しかし、どういうわけか逆に子供達からエネルギーをもらったのである。

 

「癒やされたのは子供達ではなく、むしろ自分達」

 

40を超えたおっさん達が臆面もなく口々に言ったその言葉に嘘はなく、貧困の村で被災した、いわば最も過酷な環境にいる子どもたちと触れ合ってエネルギーをもらった参加者は、何か腑に落ちない不思議な感覚を覚える。

 

ところで、Happy Planet Indexという言葉を聞いたことがあるだろうか。一言で言えば国の幸福度を表す指標のこと。「家族と一緒にいる時間」・「平均寿命」・「地球にエコであるか」の3つの指標で構成されており、「お金を持っているか」を測るのではなく、その国の国民が幸せであるかをマクロ的に見た指標。国全体でみて4世帯のうち1世帯が11ドルで暮らしているフィリピンはどうか。なんと世界全体で14位、アジアではベトナムに次いで2位。ワーストではない、ベスト2。アジアで2番目に幸せな国なのである。

 

その数字を見て、我々が感じた不思議な感覚がスッと腑に落ちる。そして、心地よい陶酔感に浸りながら、ついに現実のものとなったイベントタイトルに、一文字修正が必要と気づいたのであった。

25

 

おしまい

 

文:玉


編集後記

27

この活動は、現地の日系新聞2誌(まにら新聞・NNA)に掲載され

大々的に報道された。


28

改めて、この活動に直接・間接的に支援してくれた皆様に御礼を申し上げます。

写真:AJRC2013@台湾・全体写真

 

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